旅行・地域

拝啓、深秋の候

深秋の候・・・・・どこがやねん。

もう12月になってしまってるがや。

正確には、拝啓、初冬の候が正しい。

実は、深秋と書いたのは、この無精者は先週末に紅葉を観に滋賀県大津の実相院と比叡山延暦寺へバスツアーで、のこのと出掛けたのです。

本来ならば、もう旧式になってしまった我が愛機ニコンD300を持って行く予定であったが、私の連れ合いの普段の心掛けが悪いのか?はたまたこの無精者の日頃の行いが悪いのか?有ろう事か当日は雨。

仕方なしにデジカメを持って行く事にする。

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この無精者の日頃の行いが良いのか、実相院着いた頃には雨が上がっていたので、雨に濡れずに済んでよかった。

まぁ、それにしても生憎の天気にも関わらずすごい人出でしたよ。

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紅葉の見頃としてはやや遅い感は有るが、雨上がりのため紅葉の色彩が際立って見えたのではと、自分自身を慰める。

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若い学生風の男女が多く見かけられたが、聞こえてくる言葉は鼻から抜けるような言葉。

まぁ、ちゃんと並んで順番を守って居る事と、静かにしている事を考えると、中国人ではなく台湾からの留学生なんだろうと勝手に自己判断していた。

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こんな事なら、一眼レフを持って来れば良かったです。

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ちょっと掲載した写真がボケてるけど、ピンボケじゃないですよ。

その証拠に写真をクリックしてみて下さいよ。

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なに?下手な写真をベタベタと貼るなと。。。。しょぼ~ん。

もう少し我慢して観て下さいな。

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しかし、紅葉を写真に収めたのは何年振りだろうか?

香嵐渓からだから4年振りですか。

相変わらず構図が成ってませんなぁ~。反省。

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ここは、延暦寺の本堂と云われている根本中堂です。

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それにしても寒かったなぁ~。

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初詣

明けまして、おめでとうございます。

今年は珍しく、もう何十年振りに電車に乗って初詣に出かけた。

いつもは地元の氏神様にお参りして終わりなのだが、今年は豊川稲荷まで足を延ばしてみた。

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豊川稲荷は三河地方と言っても、東三河だ。

私の生息地は西三河地方なので、ちょっと距離が有る。

私の生息地にはJRの駅が無いので、蒲郡まで30分駆けて車で行く。

JR東海道線で豊橋まで行き、JR飯田線に乗り換えるのである。

若い時なら車で行くのだが、もう道路が大渋滞で車ではいつ着くやらなので、電車にした。

まあ、時間にして1時間半くらいかな。

車でも平日なら、そのくらいの時間で着くはずであるが、何と言っても元旦である。

無謀な挑戦は止める事にした。

豊橋の駅から飯田線に乗り換える時は、豊川稲荷へ行く人でごった返し状態。

豊川駅に着いたら、もうそこは戦場だ。

豊川稲荷の門を潜ってから、参拝までは50分ほど時間がかかった。

暇だったので、携帯で写真をパチリ。

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あと少しで参拝できるところまで来ましたよ。

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後ろを振り返ってみる。

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ほほ~ぅ。海援隊の唄ではないが、思えば遠くへ来たものだ。

また、どいつもこいつも、商売繁盛を狙って下心が見え見えな卑しい乞食供よの~。

かく言う私も、下品な事に下心有り有りなのであるが。

ここ豊川稲荷は、正式名称は「豊川閣妙厳寺」というお寺なのであるが、鳥居等も有り神仏一体なのである。が、本堂はお寺なので、参拝時は2拍手は要らない 。

お参りを済ませてから、今年初の運勢を占う為におみくじを引く。

ただ私は、おみくじはあまり好きではないのだ。

何と言っても、以前京都に行った時、2か所続けて「凶」を引いた運の持ち主なのである。

しかし、諦めて引いてみた。

娘は「大吉」で、女房は「吉」。

私は何と今回は「小吉」である。うん。私としてはなかなか良い方である。

何と言っても私は幸少ない運の持ち主だからなぁ。

今までも薄氷を踏むような人生だったから。

本堂を参拝してから、右奥へと進むと霊孤塚と言うところが有り、キツネの石像が沢山奉納してある。

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中央に塚が有り、写真は塚の左半分である。

奉納してある狐の石像の顔が皆違うのには驚いたわ。

豊川稲荷はだるまで有名なのだが、商売繁盛を祈願する所でもあるので、この時期は熊手が露店などを含め店先には種々多々ある。

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私はサラリーマンなので、熊手はあまり必要ないのだが、縁起物と言う事で奮発して自分の掌くらいの 物を買った。

・・・・・ん?待てよ。こんな根性だから乞食地獄から抜け出せないのかも。

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視察研修

15~16日の2日間、業界団体の視察研修で、伊豆伊東へ行って来た。

視察研修と言うと聞こえは良いが、要するに団体の慰安旅行なのだ。

まぁ、良い悪いは別として、久しぶりに行って来た。

彼是、10年ぶり位かな?

これも、腎移植をしたから行けるようになったのである。

もう、2度とこう云う旅行は行けないと諦めていたので、正直感無量だ。

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15日は好天に恵まれ空には雲一つ無く、富士山が奇麗に見えた。

もう二度と肉眼で富士山を見る事は無いだろうと、諦めていたのですごく嬉しかったなぁ。

秋の行楽シーズンの終了と、年末との端境期と言う事なのかホテルはガラ隙だった。

長引く不況で、旅館、ホテル業界は大変とは聞いていたが、此処まで落ち込んでいるとは改めて実感した。

人件費削減の為であろうか、フロントで部屋のキーを受け取る時に、部屋の場所を口頭で説明されて、自分で部屋を探すのである。

それも、名の通った老舗ホテルなのだ。

少し前なら、旅館では女中さん、ホテルならボーイが部屋まで案内してくれたものである。

もちろん、食事はバイキング方式だ。これじゃ、宴会どころではない。

私はバイキング方式は嫌いではないが、しかし、夕食くらいはやっぱり旧来の宴席が良いなぁ~。

10年ぶり位の宴席を楽しみにしていたのに。。。。とほほっ。

これじゃ、まるでビジネスホテルとなんら変わらない。

では、ここまでサービス質を落として、1泊の値段はせいぜい2,000円くらい値下がりしたにすぎない。

従業員を大幅に削減したにも関わらず、あまり値段が下がらないのは多分、広大な施設の管理費に経費がかかるからだろうと思われる。

値下げ競争も生き残りを賭けた一つの方法かもしれないが、金額ばかり追いかけるのはどうかなぁ。

日本人はもっと金額ではなく、お金の価値と言うものにも目を向けるべきだはないかと思う。

どうせ、偶にしか旅行に行かないのである。

折角、行ったのだから、少々金額は張っても優雅に贅沢に過ごしたいものだ。

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続・伊勢神宮

去る11月23日に伊勢神宮に行った時の写真が、なんとかPCで開くことが出来るようになった。

知人に聞いたり、ネットで調べたりして、やっと開く事ができました。

良かった、良かった。

この年の瀬になんと運の良い。

やっぱり天照大神が、味方してくれたのだろう。

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紅葉はまだ、こんな感じだった。

神宮への行く途中にある赤福本店。

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行きはまだ時間が早かったので、まだお客は余り居なかったが、帰りはもう人がうじゃうじゃと溢れていた。

早めに買っておいてよかった。

この日は曇り空で寒かったので、赤福本店正面に有る赤福のお店なのだが、赤福のぜんざいを食べた。

しまった。写真を撮り損ねた。

「萬金丹」これ「まんきんたん」と読みます。

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これは生薬で、私のご幼少の頃は、どこの家にも有った置き薬です。

子供の頃よく「鼻くそ丸めて、まんきんたん。」って皆よく言ってました。

これが伊勢神宮の入り口である一の鳥居。

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あぁ~これこれ、今、これを読んでるそこの田舎者よ。

良いですか。神社等に参拝する時は、鳥居を潜る前に一礼するのが常識ですよ。

そして、決して真ん中を通ってはいけませんよ。

参道も真ん中を歩いてはいけませんよ。

真中は神様が通る道ですから、我々のような下人が通っては遺憾のです。

それにしてもワシも鳥居をバックに写真を撮りたかったのだが、このような不埒な輩が占拠して撮れんかったはわ。

ワシのような奥ゆかしい人間は、どうしても人の間に割って入る事が出来ん。

う~ん、こう云う時に教養が邪魔をしてしまう。

11月23日は新嘗祭であり、ちょうど私達は運が良いのか悪いのか祭事に出くわして、参拝を20分ほど待たされた。

私達の後ろに並んでいた、ちょうど団塊の世代らしき夫婦が警備員に待たされる事にぶつぶつと文句を言っていた。

余りにも、しつこく文句を垂れるので、隣で聞いていた私は気分が悪くなり、「神事だから性が無いだろう。気に入らなけりゃ帰れ!」と、年甲斐にもなく怒鳴りつけてしまった。

どうにも私は、だらだら、ぐずぐずが大っ嫌いなのだ。

こいつ等団塊の世代はどうにも道徳心が無い。

確かに、日本の高度成長を支えたのは貴方達世代だ。

しかし、今の日本の世を悪くしたのも貴方達世代だ。貴方達の子供世代の道徳心の無さを見ろ。

しっかりとした子育てをしないで、我欲に走るから悲惨なものだ。

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神事が終了して、拝殿から出てきた神官たち。

言っておくけど、左の人は吉本新喜劇の桑原和夫じゃないですよ。

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参拝を終わって出てきた時に撮った拝殿。

此処でも鳥居を潜る前には一礼を忘れずに。

2年後の式年遷宮の準備をしていた。

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伊勢神宮は20年に一度、遷宮をするのだ。

参拝を終え、おかげ横丁へ。

いやはや、すごい人だかり。

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おかげ横丁でぶらぶらと時間を過ごす。

寒いし、歩き疲れたので、ちょっと一服。

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まぁ、しかし、ファイルが開けるようになって良かった。

しかし、時間を気にせず、旅行が出来る事は良い事だ。

もう二度とこう云う事は出来ないと諦めていたから、本当にうれしい。

普通に生活できる事がこんなにも快適だったとは、改めて兄貴に感謝だ。

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伊勢神宮

昨日23日は、女房と娘と3人で伊勢神宮へ行ってきた。

まぁ、こういう時に一緒に付いて来てくれるのは、やっぱり女の子である。

男坊主は絶対付いて来ない。

かく言う私も男なので気持ちは良く分かる。

反対に男坊主が付いて来たら、気持ち悪いわ。

まぁ、男としては健全に育ったわな。

「一生に一度は伊勢神宮」と言われるが、幸運にも私の生息地は車で2時間半弱で行ける距離にある。

しかし、近いが故に行かないという事もよくある話でして。。。。

でも、子供の頃から数えると、5回ほど行ったかな??。

私がご幼少の頃は、漁師が船を新造すると必ず伊勢神宮へ参拝してから青峰山へ船の安全祈願へ行ったものである。

最近は、漁師も儲からなくなり、漁船の新造どころか廃業止む無しと言うほどの状況である。

いったいこれから日本の漁業はどうなってしまうのか・・・・・。

伊勢神宮の参拝順序としては、まずは外宮から参るのが常識だ。

あぁ、これこれ、そこの田舎者。内宮から参っては遺憾よ。

折角、来たので、外宮すぐ傍にある月夜見宮へ参拝する。

さあ、内宮へ行こうと思ったら、娘が内宮の近くにある皇大神宮月宮月読宮へ行こうと言うので、しぶしぶ付いて行く。

まぁ、娘が車の運転をしてくれているので、文句は言えず。。。本音は腰が痛い。

そして、猿田彦神社へとお参り道中は続く。

そして、いよいよ伊勢神社内宮へと行く。

なに?。写真が無いとな。

写真はたくさん撮ったんだけど、何故かPCではファイルが見つかりませんとエラーに。。。

娘のコンデジで撮ったんだけど、なんで????

ファイル形式はJPGなのに???

折角、娘と女房との3人で撮った写真が。プァ~だ。凹むわ。

おかげ横丁での写真などいろいろ撮ったのに・・・・・・。

これは、涙無しには語れない。

まぁ、しかし、疲れたけれど腹膜透析導入後はこんな1日フリーの時間は無かったので、数年ぶりの日帰り旅行でしたわ。

今度の27日に岐阜の航空自衛隊基地で航空祭が有りる。

以前、女房がブルーインパルスの曲技飛行を1度見てみたいと言っていたし、私もカメラでブルーインパルスを撮ってみたいと以前から思っていたので、行こうと女房を誘ってみたら、友人と京都へ日帰りバスツアーに行くんだって。

なぬ~。おら聞いてね~べ。

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募集

私の生息圏では、こんな募集をしてました。

http://gendai.net/articles/view/syakai/131750

三河湾の離島の佐久島・日間賀島・篠島で、観光振興と緊急雇用創出事業の一環として、ブログやツイッター等を使って島の魅力を情報発信する事らしい。

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特に私の生息地である地元に有る佐久島は、三河湾で一番大きな島なのに、一番寂れているのである。

それは、日間賀島、篠島のように観光地化されていないからである。

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採用期間は9月1日から12月28日まで。

月給303,000円頂けるらしい。

私も申し込もうかな。

ん。

失業中でないと駄目なのか。ショボ~ン

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疲れた

チカレタビー

今日は年一回の町内会の水路掃除の日であった。

私の生息地は田園地帯の為、水路が沢山ある。

それを町内会の全戸で班毎に分かれて掃除をするのだ。

午前7時30分集合で、午前11時頃には終わるのだが・・・・・しかし、疲れる。

午後から所用で出かけた時、枝垂れ桜が満開なのを発見。

しまった。カメラを車に積んでおくべきだった。

おおッ、そうだ、携帯で撮ろう。

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これは公園内にある旧近衛邸に有る枝垂れ桜。

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これは反対側から撮ったもの。

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此処、旧近衛邸では、季節の和菓子がついた抹茶が一服400円で飲める。

和菓子の甘味が、疲れた体を癒してくれる。有難たや、有難たや。

和菓子で甘くなったところを、抹茶の苦みで引き締めながら桜を観る。

優雅ですなぁ~。

和風がやっぱり癒される。日本人ですわ。

なに??抹茶と和菓子の写真が無い。と、申すか?

それは申し訳ない。

食べる事に集中して忘れてました。

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生息地探訪

私の生息地に文化的価値は無いが、山門だけ立派なバランスの悪い寺が有る。

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赤羽別院という。

浄土真宗大谷派の寺である。所謂、東本願寺である。

私は宗教には興味が無いので、詳しくは知らない。また、知ろうとも思わない。

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本堂は私が生まれる前なのかよく知らないが、焼失して長い間建って無かったが15~6年前だっただろうか、門徒が寄付を集めて建て直した。

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だから本堂だけが新しくアンバランスなのである。

ん!何時の間にやらこんな物が立ててある。

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なに、なに

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へッ!我が生息地に城が有ったの????

我が生息地はa long long agoの時は海だった筈。

堆積地なので大半が海抜0m地帯なのだ。1mも掘れば水が浸み出てくる所なのである。

まぁ、この別院の建っている所だけは高台になっている。

この立て看板を簡単に説明すると、永禄四年(1561年)西條城主 酒井 勢に攻められ落城。

その後、城主の一子(洞山祖誕上人)一族の菩提を弔うために寺を建てた。と、記してある。

この赤羽別院のすぐ隣に、我が母校の県立高校が有る。

と、いう事は我が母校も城の跡地に建てられた物だったんですねぇ。

全然知らなかったわ。

この赤羽別院に文化的に価値が無いという事は、近年に建てられたものと思われる。

そう言えば、参道の入り口の石柱に大正七年に建柱と彫ってあったわ。

神社仏閣ではこの年代では文化的価値は無いですね。

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坂の下の吹き溜まり

さて前回からの続きです。

ホテルのフロントに明朝6時30にモーニングコールをお願いしていたのに、忘れられてしまい、目覚めたのが7時過ぎであった。

ホテルのフロント係りが、多分、言い継ぎを忘れていたのだろう。

私はそんな些細なことで目くじらを立てて怒るほど、小さな人間ではない。

大体、今の世の中、些細な事でやたらと怒鳴り散らす輩が多すぎる。

ここまで、恥を知らぬ日本人が増えていることは問題だ。

私の運の悪さは今に始まった事ではないが、こちらに来て良い事は無い。

昨日はあと3分のところで、特急に乗り遅れ、1時間ほど松山駅で待機させられて、「ほんに無精者お主は、運が無いよの~ぉ。」

そんなこんなで、急いで身だしなみを整え、急いでバイキング方式の朝食を平らげ、ホテルを出る。

「う~~ッ、さむッ。」

歩いて2~3分程で宇和島駅に着く。

タクシーに乗ったら、すぐに粉雪が降ってきた。

寒いのが大嫌いな、この無精者になんと手荒い歓迎を「ありがとうよ。宇和島。」

目的地に着き、今回の主目的である人物との接見はなんと先方に急用が出来て、午後からの時間変更になってしまった。

私の目算では、お昼には松山に戻り、松山見学でもしようと思っていたのに。トホホッ。

この無精者つくづく運の無さに呆れてしまう。

(天は我を見放されたか~ッ)これ映画「八甲田山」で北大路欣也が最後に言うセリフです。

仕方ない。どこかで時間を潰すしかなさそうである。

ん?宇和島資料館・・・・・・・寒さしのぎに入ってみるか。

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この資料館で宇和島のガイドブックを貰ったが、今回は観光に来てるのではないので、ガイドブックは1度も開いていない。(ごめんなさい。)

腹が減ってきたので、ここの資料館の受付の女の人に「あ~そこの、べっぴんさん。近くで昼食を食べれそうなところはありますか?」と聞くと、隣のホテルが950円でランチバイキングをしていると言うではないか。」

950円。。。。安。

言われたとおり、そこのホテルへ行ってお金を払うと2人で3,000円ではないか。

やられたワイ。まるで美人局に遭ったような気分だわ。

でも、そこそこ旨かったから良かったけど。

せっかくここまで来たのだ。四国支部のエージェントnana13さんの近況でも聞ければと思い携帯番号を教える。

本当は直接会って話すのが良いのだが、この男前の無精者にnanaさんが惚れてしまうと後々厄介なので、やっぱりここは電話でお話を。

男前と言うのはつくづく罪なものだ。

電話の声では元気そうであったが、まだ少し用心しているようである。

まぁ、焦ることはない。用心に越したことはないからね~。

午後1時過ぎに今回の目的の人物に接見できた。

用事を済ませ、13:55分発の松山行き特急に乗り、15:18分に松山へ到着。

松山では今、街を挙げての「坂の上の雲」一色である。

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帰りの飛行機は19:35分発。

まだ、少し時間が有るので、松山見学へと気が向く。

松山と言えば、夏目漱石の「坊ちゃん」である。

坊ちゃん列車に乗ろうと、切符を買いに行くと、「今、出たのが今日の最終便」だと言うではないか・・・・・・・

この無精者には、何か良からぬものでも憑いているのか?

四国へ来てから、いつもあと一歩と言うところで幸福の青い鳥を逃がしてしまうのである。

仕方ないから、普通の路面電車で松山城へ行こうか迷ったが、陽も傾いて来ていたし松山城は過去2度行ったことが有るので、「坂の上の雲ミュージアム」へ行く事にした。

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それにしても、松山の駅は私が高校生の修学旅行で来た時とちっとも変わってないわ。

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大街通駅を降りてすぐのところに有った。

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ドラマに限らず、本物の秋山兄弟もなかなかの男前やのぉ~。

ミュージアムの出口に司馬遼太郎の「坂の上の雲」全8巻が売っていたので、つい衝動的に買ってしまいそうになったが、女房の「荷物になるから帰ってから買いなよ。」

・・・・・うむッ・・・・・それも一理ある。

しかし、この時代の日本人に比べて、この無精者なんと気骨の無さよ。

坂の上にある欧米諸国と肩を並べるために、一生懸命生きた人達に比べ、この無精者坂の下の吹き溜まりの塵みたいなものよ。

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へぇ~、意外と行けるもんだ。

履き慣れね革靴で歩き回って、まだ足の裏が張っている無精者です。

世界中に網の目のように張り巡らせてある私の情報網の1人、四国支部のエージェント・コード名nana13(サーティーン)から緊急のメールが入ったのである。

エエ~ィ、メールではラチがあかない。

と言うことで、18、19日の両日で宇和島まで行って来た。

17日午後からの週一回の5時間透析を翌日の朝一番に代えてもらって、午後2時半くらいに病院を出て、家に着いたのが午後3時20分くらいである。

支度を整え、午後4時過ぎに車で空港へ。

我が家から、名古屋国際空港セントレアまで約50分かかる。

5時過ぎに搭乗受付を通過。

17:55分発の松山行きに飛び乗る。

しか~し、私は飛行機が大嫌いなのである。

それもこの飛行機である。

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悪評高きボンバルディアDHC8-Q400

この飛行機は以前、あちらこちらで不具合が発見された曰く付きの飛行機である。

トホホッ。無精者の人生もこれまでか?

まぁ、これで墜落したら無精者の人生もこれまでよ。

「我が人生に一点の曇り無や!」

ええ~ぃ。死んだ気になって飛行機に飛び乗った。

ただ、心残りは女房を道連れにしてしまう事である。

済まぬ女房よ。お前を守り切る事が出来なかった不甲斐無い無精者を許せ。

しかしである。

ふふふッ。日頃の行いの良さか、私の危惧する事もなく無事に松山空港へ到着。

すでに時は19時15分くらい。

急いで、リムジンバスに飛び乗り、いざ松山駅へ。

しかし、時すでに遅し。宇和島行きの特急は3分前に発車したところであった。

次発は20時40分発なので、仕方ない女房と2人で駅舎内で次発を待つ事にした。

それにしても、飛行機の中でも思ったのだが、松山に来る人の多くはビジネスマンが多い。

これから、四国中の取引会社をぐるりと回るんだろうなぁ。

大変ですわ。

結局この日、宇和島に着いたのは、22時過ぎでした。

家から出て、6時間強で宇和島に着いてしまった。

やろうと思えば、意外と出来るもんだと改めて思った。

続く。

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