私、無精者。恥ずかしながら生きて還ってまいりました。
正直な話、先月19日に兄からの腎移植手術をしてから、こんなにも順調に退院出来るとは思ってもいなかったです。
手術前に医師が立てたスケジュール通に経過した事には、スケジュールを立てた医師自身が驚いていました。
普通はスケジュール通りには行かないようです。
医師が言うには「お兄さんから頂いた腎臓も良いし、それとよほど相性が良かったんですね。」と言われた。
やっぱり、どこそこの病院だから良い。どこそこの病院だから悪い。のではなくて、移植した腎臓との相性である。
大体、移植を行う病院だから、それなりの技術があるから移植が行えるのである。
私が手術をした名古屋第二赤十字病院は、生体間腎移植手術の実施数が東京女子医大を抜いて日本一だそうな。実は私も知らなかった。
まぁ、知ったところで私にはそんな事は、どうでも良い事である。
手術が終わって元気に退院できればそれで良いのである。
私の主治医は今年の4月に東京女子医大から、この病院へ移ってきたそうだ。
私が「なんで東京からこんな地方都市の病院に来たんです?」と聞いたら、「いくら確立された手術でも病院によって手術法が少し違うので勉強するために」らしい。
へ~、勉強熱心だ事。
それと私の基礎体力の高さに驚いていました。
「私達は一応、患者さんに手術の翌日から起きて歩くようには言いますが、ほとんどの人は手術翌日から起き上がれる人は居ませんよ。」
「よほど基礎体力が有るんですね。」と言っていました。
この基礎体力が有ると言う事が喜ばしいのか、悲しいのか?
基礎体力が有ると言う事は、死ぬ時は長らく寝たっきり状態になる事である。
コロッとは逝かないようである。(今から死ぬこと心配してどうするねん)
さて、手術だが麻酔は当然全身麻酔である。だから夢も見ない。
手術前日、プログラフ(免疫抑制剤)を内服、寝る前に下剤を服用、午後9時以降は絶飲食になる。
手術当日朝、プレドニン(ステロイド剤)を注射、少量の水で免疫抑制剤を飲む。
ドナーの兄は8:30から手術室へ、私は1時間遅れて9:30に手術室に入った。
私が起こされて目覚めたのは16:00くらいであろうか、覚えていない。
兄の方は私より2時間ほど早く手術室から出てきたらしい。
手術室から出てきた時は、腕と頸静脈に点滴の管、酸素吸入、心電図モニター、尿道カテーテル、傷口から血を流し出すカテーテル、足に肺血栓予防の何と言うのか空気で足を圧迫したり、ゆるめたりとマッサージするような物が足に巻いてある。
この尿道カテーテルが嫌なんだよなぁ。なんか残尿感があり、オシッコが常にしたくってモヤモヤとした気分である。
術後1日目胸部、腹部のレントゲンを病室で撮る。プレドニン(ステロイド剤)を注射。
朝、医師の回診後、問題が無ければベッドから起き上がり、室内歩行ができる。
午前中に腕の点滴が抜ける。昼食でお粥が出る。水分を500ml摂るように言われる。
夕方より免疫抑制剤、ステロイド剤が内服となる。
術後2日目、頸静脈から麻酔を点滴で入れているので、痛みは無い。
水分を1日1000ml摂るように言われる。
術後3日目、水分を1日1500ml摂るように言われる。
術後4日目、水分を1日1500~2000ml摂るように言われる。頸静脈の点滴が抜かれる。尿道カテーテルが抜かれる。シムレクト(免疫抑制剤)を点滴。病棟内歩行が許される。
これで残尿感から解放されるが、私は3年ほど前から無尿状態であったので、大変な目に合う。
無尿状態が3年程続いたので、膀胱が小さく委縮しており、10分ほどで尿意を感じてトイレに駆け込む。それで出るのが30mlほどしか出ない。10分間隔でトイレに駆け込むから、当然徹夜である。
こんなトイレ地獄が4日ほど続いた。もう体力の限界である。
この時期にコーディネーターの看護婦さんから水分摂取の極意を教わる。
昼間、重点的に2ℓ水分を摂取して、夕方からは飲まなくすると言うのだ。
そうすると、明け方には少しは睡眠が摂れると言うのだ。
良い事を教えてくれた。早速実践してみた。うん、明け方2時間ほど眠れた。これで少し体が楽になった。
病棟内歩行も、ただ無暗に歩いても体力を消耗するだけなので、病棟内を3週ほど歩いたら休む。これを朝、午後、夕方の3クルーをするように教えてくれた。
術後5日目、傷口のドレーンを抜去。これで体に付いている管はすべて無くなった。体周りがすっきりした。シャワーが許可される。
体が洗えるのは嬉しい。これで心も体もすっきり。
しか~しトイレ地獄はまだまだ続く。
娘が術後初めて見舞に来て、言った第一声は「父さんの顔が変わった」である。
変ったのでは無く、これが本来の顔なのである。
今までは顔がむくんでいたのである。それが余分な水分が抜けて、顔がすっきりしただけである。
本来、私の顔は目はくぼみ、鼻はすっきりと尖った精悍な顔なのである。
それが、いままで余分な水分で瞼は腫れて、全体的に顔が丸みを帯びていただけである。
女房に確認したら「解ら~ん、今までの顔に慣れちゃったから」(オイオイ、なんちゅう奴っちゃ)
仕方ないので、身障者手帳の写真を見せてやった。
「あ~ぁ、そう言えばそうだったわね」だって。
術後6日目、免疫抑制剤の血中濃度採血。朝7時から1時間おきに午後7時まで採血。
水分を1日2ℓ以上摂る事よう言われる。
飲め飲めと言われると、人間なかなか飲めないものである。わたしゃまだ反抗期かな??
術後8日目に私が怖がっていた、尿管のドレーンを抜く。ひょえ~
移植した腎臓の尿管が癒着閉塞しないように手術時に予めドレーンを挿入して膀胱に縫合しておく。これを膀胱鏡を使って抜き取るのである。
尿道から膀胱鏡を膀胱内に挿入する痛みは女性には解らない痛さである。
処置時間は2~3分だが、これがすごく長く感じる。男でもあまり痛がらない人もいると言うのは不思議である。
やっぱり痛みは個人個人違うようである。
これも無事終了。もう後は気楽なものである。この頃、膀胱も少しづつ大きくなり始めてなんとか30分くらいは持つようになった。
術後1週間で個室から4人部屋に移るのだが、私の場合あまりにもトイレの間隔が短いので、個室を延長させてもらった。
術後1週間は個室料金は病院持ちであるが、1週間以後は1日9,450円出る。
ひょえ~。10日も居たら10万円である。1日1万円も払えるほど私はお大尽ではないのである。なんとか早く膀胱を大きくしなければ。
結局、3日間個室を延長した。この頃には膀胱が1時間で100mlくらい貯められるまで大きくなった。
退院2日前、腎生検を行う。23年前にやった腎生検に比べて今は楽になった。
生検に使う針の太さは透析時に刺す針と同じ太さである。
それをエコーの先端に取り付けエコーで腎臓の位置を確認して行うのである。
局所麻酔をやるので痛みは無い。
私は生検後の5時間安静を睡眠に集中しようと思い、よせば良いのに尿道カテーテルを刺して眠剤を貰って飲んだ。が、しか~し大きな間違いであった。
結局、あの残尿感とオシッコがしたくてたまらない感覚で睡眠が摂れなかったのである。
もうトホホな気分である。
主治医が来て、ベッドが足らなくなったので、退院を1日早めると言ってきた。
断る理由も無いので、快諾。もう早く帰りたかったので良かった。
退院1日前、腹部CT、免疫抑制剤血中濃度採血(これで4回目)
そして退院。めでたし、めでたし。ばんざ~い。ばんざ~い。ヽ(´▽`)/
ここで私が服用している薬を記述しておかねばなるまい。
術前、術直後、
プログラフ(免疫抑制剤)6カプセル 6mg 朝、晩
ブレデニン(免疫抑制剤)5錠 250mg 朝、晩
プレドニゾロン(ステロイド)5錠 25mg 朝
パリエト(胃薬) 1錠 10mg 朝
ノルバスク(降圧剤) 1錠 5mg 晩
現在
プログラフ(免疫抑制剤)2カプセル 2mg 朝、晩
ブレデニン(免疫抑制剤)4錠 200mg 朝、晩
プレドニゾロン(ステロイド)2錠 10mg 朝
パリエト(胃薬) 1錠 10mg 朝
ノルバスク(降圧剤) 1錠 5mg 晩
バクタ(抗生物質) 1錠 朝(月、水、金のみ)
兄から貰った腎臓と余程相性が良いのか、あれよあれよと言う間に免疫抑制剤の服用量が減っていた事は良かった。
本当に兄に感謝である。これは言葉では言い尽くせない有り難さである。
兄はまだ傷が痛むのか、痛み止めと、便秘薬を貰ってきてくれと言うので先ほど挨拶がてら薬を渡して来た。
兄は腎臓を摘出する際に腹の真ん中を切開しているので、一番力が掛かる場所なので痛みも私より長引くのであろう。
私が切開した場所は、盲腸の当たりなので、まだ兄ほど力が入る場所ではない。
ちょっと気の毒である。
本当に私は罪な男である。私が生きているだけで皆に迷惑を掛けてしまう。
他力本願。これが私の人生を表す言葉である。
あと、女房にも感謝である。
パート仕事が休みの日は電車、地下鉄を乗り継いで2時間かけて私の着替えを持って来て、洗濯物を持って帰る。休みの日くらいゆっくりしたい筈なのに、ありがとう女房。
さすが私が選んだ女性である。私の目に狂いはなかったのである。
さぁ、明日から静養と膀胱のリハビリの毎日である。
せめて2時間くらいは溜められるようにしないと、映画もおちおち観に行けない。
私が年初には仕事に復帰したいと医師に話したところ、おそらく無理だと思います。と言われた。
移植後、3~4か月位が拒絶反応が一番出やすい時期らしい。
だから、基本的には退院後3ヶ月は自宅で静養しながら、経過観測するらしい。
仕事が事務系で、経過が良好な人は退院後2か月くらいで職場復帰を許可する事もあるらしい。
後は、外来の医師と相談して下さい。との事。
退院後3ヶ月・・・・・・・・そんなぁ~、我が家の兵糧が底を着いてしまう。
それに、そんなに長くブラブラしていたら怠け癖がついてしまう。
「働かざる者食うべからず。」これが私が親父から受けた教育である。
勤労を尊び、怠ける事を忌み嫌うのである。
だから、仕事をしない事に強迫観念が有って、怠ける事が出来ない性分なのである。
3ヶ月も遊び呆けるなんて、私は死んだ親父に顔向けできない。
しかし、此処で焦って、折角兄から貰った良い腎臓に負荷を掛けてもいけないし・・・・。
一家の大黒柱が長期仕事を休む場合は、余程貯えが無いと気持にゆとりが持てない。
私ん家は今年の春に下の坊主が大学を卒業して、就職をしたところである。
まだ、思ったほどの貯えが出来ていないのである。トホホッ。
そう言えば、私のブログに時々コメントしてくれるmamaさんの息子さんは今月手術の筈。
もう手術は終わったのであろうか?成功してくれることを祈っています。
このヘタレのおっさんにも出来たのだ。
頑張ってほしい。
さぁ、来年の秋は大好きな梨を腹が下るほど食ってやるぞ!
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